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【2024/03/19 19:04 】 |
お子さんを切望する余り
子どもが欲しい。
そんな思いから不妊治療をされるかたも多いと思います。

無事に妊娠し出産。無事に出産できたことを喜ぶのも束の間、子どもに対して嫌悪感をもってしまったり、ぐったりとしてしまって何事にもやる気がでなくなってしまったりということが稀にあるようです。

これは「産後鬱」と診断されることもあるみたいですね。

実際に子どもを育てることに不安を感じ、本当に産後鬱になる方もおられると思いますが、それとは別の理由で発生する場合があります。
 
それは、母親の生命力を子どもに渡しすぎたことによるものです。
子どもが欲しい。無事に産まれて欲しいという想いが強すぎて、自分のエネルギーのほとんどを注ぎ込んでしまうことです。

昆虫などの生物の中では、命がけで産卵し、そのために産んだ後に絶命する生物もいますね。まるでそのような感じです。

だから、やる気が出ない。子どもが欲しかったはずなのに、素直に喜べない。まるで別人になってしまうこともあるんです。また、エネルギーが減ってきたこのタイミングを狙って、邪な霊が付け入ろうとすることもあります。

つまり、子どもに対して無責任になったのではなく、子どもを望み、命がけで出産に臨んだためのことなんです。決して責められるものではないですね。

もし、この仕組みに気付かれなかったら、母親の方は、子どもを素直に愛せない自分に自己嫌悪になるでしょうし、周りの家族は母親をよく思わないでしょう。命がけで愛したが故の結果なのに残念なことです。

産後鬱にと言われた母親のどれだけがこのケースなのかと思うと心が苦しくなります。

このようなケースに数件遭遇し、お救いしたことがあります。私は霊的な処置をするだけでなく、命がけで愛したが故の結果なんだとしっかりとお話しさせてもらい、母親の名誉を守ることに力を注ぎます。

私のような仕事は、単に技術で結果を出すだけではない。
人の心を汲み、解き放っていくものなんだと、つくづく思い知らされました。
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【2013/11/07 00:27 】 | エッセイ | 有り難いご意見(0)
最近の男性は……
 
最近思うんですが、女性のお客様の恋愛を占っていて、最近かなり多くなってきたパターンとして

「男性からのメールが前触れなく急に途絶えて、音信不通になるケース」

が増えています。増えているというよりかなり多い。
占うと

・ 忙しくてメールできない
・ 他のことに熱中してお客様に対する連絡が後回しになり、結果、連絡しなかった

が多くて、時折

・ お客様と連絡取り合うことがもうなしだと思って、放置する

という理由。

上の二つはお客様に対して恋愛的な感情は残っているというものなので、結果的には恋愛委関係が継続されるケースなんですが、前触れなく連絡が全く来なくなると、恋愛が破綻したのかという心配をしてしまうので、精神的にはかなり辛くなります。

付き合う直前まで来ていたという、かなり親密な関係だとか、むしろ付き合っているという状態でこれがあるんですよね。そこまで親密だったら、いくら忙しくても、少しは連絡できるだろうし、連絡するのが無理になりそうだったら
「忙しくなるからメールできなくなるかも」
とかのメール一通があるだけでだいぶん変わると思うんですけどね

そしてもうなしだと思ったとしても、何らかの形でけじめをつけるのが筋ってものかな。って思うんですよね。

今時の男性って、そういうコミュニケーションの基本が欠落していて当たり前っていうもんなんでしょうかね。と男性の私が思ってしまう今日この頃です。
【2013/04/10 01:54 】 | エッセイ | 有り難いご意見(0)
自分に嘘をつかないようにしよう
 
昨日の名言

「他人に嘘ついてもいいから、自分には嘘つかないようにしよう」

あるお客様が言われました。
 
続けて

「自分に嘘をついていたら、何が本当の自分か分からなくなる」

と言われました。

まさにそうだと思います。
例えば恋愛だと、口では

「私は彼のことを諦めることにしました。そうしないと先に進めないように思うからです」

と言いながらも、その彼が他の女性と仲良くしているのを見ると嫉妬に狂ってしまう。

また別の話だと、

「憎しみは何も生みません。私はあの人を心の底から許しました」

と言いながらも、その「あの人」が自分を裏切った光景が頭に浮かぶ余り不眠症。

結構よくある話です。
いろいろな思惑や都合などがあると思いますが、どうして自分に言い聞かせないといけないのでしょう。どうして自分の気持ちに蓋をしなくてはならないのでしょう。

人間は理性的な生き物だ。だから感情を制御できなくてはならない

そう言う人もいます。しかし、自分の素直な感情を押し殺してまで、理想の自分を演じるのはむしろ人間らしくないと思います。虚像を自分だと思い、理想像に近づいたと酔いしれ、腹の中で暴れ回る本心を見て見ぬふりをする。

私は、生の自分。格好悪くても、醜くても、みっともなくても、そういう自分に向き合い、そういう自分もまとめて愛おしむことが、自分を本当の意味で大切にしていくことだと思っています。

上記のお客様の言葉

「人に嘘をついてもいいから……」

というのは、人を蔑ろにしてもよいという意味ではないと思います。勿論嘘をつくことを許容するものでもない。その真意は、人以上に自分に対して正直に大切にせよということだと思います。

世の中きれいなものばかりではありません。
人が世の美しさを説く以上に闇で溢れているかもしれません。
しかし、その闇を汚いものだと見下すことそのものが、更なる闇を生み出すものだと思います。

私は闇を直視しつつ、それを温かく抱きしめることができる人間でありたいです。
【2012/09/28 00:15 】 | エッセイ | 有り難いご意見(0)
天使喚起にご用心
 
私の友達は気を抜くと幽体離脱をしてしまう程、まあいわゆる変人な人なんですね。今は分かりませんが、よく魔術師同士の付き合いをしている時は週に3回は離脱していたそうで。つか、私の家にこっそり来て、私に祓われそうになったというデンジャラスなエピソードがあったりねw

幽体離脱って、この3次元空間だけでなく、空間転移をすればいわゆる天界なんかにも行くことが出来、その友達とは家が遠くてなかなか会えなかったので、


「お互い離脱して天界で会いましょうね」

とか結構やっていました。でも離脱したときの姿は肉体をもっているときとは全く違うので、お互いのことが分からなかったというお馬鹿な現象もあったものです。

ちなみに、私の姿は銀髪のジャニーズ系らしくって、肉体とは全く違った姿にウケたものです。

さてここから本題ですね。

その友達が性懲りもなく離脱してうろちょろしていたら、猛烈な吸引力でどこかに誘導されたそうなんです。その先には、人間がいて、友達が吸い寄せられた途端に

「ガブリエルさまが降臨された」

と言われたそうですね。つまりその人達は、ガブリエルという天使を喚起していたようなんですよ。

誰かが確かに喚起されたということが分かったのはなかなかですが、単なる人間が喚起されただけなのに、それを安易にガブリエルと判断するのが天使だとかそういう存在に憧れるが余り我を忘れる人の典型なんですね。

ネットでも本なんかでも、有名な天使を喚起できると謳っている情報が氾濫しています。また魔術系の掲示板では、天使と友達になりたいんですけどと質問する人が結構多い。友達がいないから天使と友達になって話し相手になってほしいんだと。

気持ちは分かりますが、そんなお手軽なものではありません。そして人間の友達がいなくても天使の友達がいるという優越感に浸りたかったり、そういう世界に逃避することで現実を忘れたかったりするんですよね。

上の友達の話は、天使と思っていた存在の正体が人間だからよかったものの、多くの場合は、天使のふりをした低級霊だったり、動物霊だったりするんです。天使とふれあいたい。天使とふれあっている自分は特別だと思いたい。他の人とは違うと思いたいという気持ちが心の隙を生み、その隙に悪いものが入っていくんですね。特に自分で神や仏、天使を名乗る霊には要注意。

特にスピリチュアルなことに関心を抱いている方、それを仕事にされている方は要注意です。どんな系統であってもそれは手段であって目的ではないということ。そんなことをやっている自分に酔わないこと。自分を特別視しないこと。常に自分のやっていることや見ていることを疑うこと。つまり、こうあって欲しいという自分の願望にとって都合の良い結論を出さないこと。

自分なんてほんの些細なものであるという謙虚な姿勢こそが、大切なのではないかと思っています。
· · · 34分前 ·
 
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  • 小西 慎也さんが「いいね!」と言っています。
  •  
【2012/09/10 14:40 】 | エッセイ | 有り難いご意見(0)
きれい事は必要ない
「世の中はいかに不条理で不合理なものなのか」
「世の中に希望なんて都合のよすぎるものなんて存在しない」
「いくら努力したって報われない」
「愛なんてものは幻想だ」

簡単には論駁できない言葉です。
お客様の中には、何をどう頑張っても苦悩から脱することができないという過酷な環境にいる方が多くいます。

 「きれい事は聞き飽きた。それで何が変わるというのだ」

言葉に出さずとも顔にそう書いてある。それを察しながらタロットカードを取り出す私。筆舌に尽くしがたい修羅を背負って私の店に来るお客様はそれでも何かを私に求めているんです。

あるお客様は私にこう言われました。

「生きていて何が楽しいのでしょうか。飽きたんです。早く死にたいです」

悲しむ人がいるからやめなさい
命は重いんだ。
生きたくても生きられない人がいるんだ。甘えるな。

おおよその方はこのように返すでしょう。しかしこれらは全くの無駄な言葉。だって、全ての言葉を自問自答したうえでの結論だからです。

これこそがきれい事。
そして聞き飽きたと言われることでしょう。

私は、お客様の問いに答えず、カードを開きながらひたすらお客様の半生を語りました。

小学時代から今までのこと。決して成功と言えない人生。でもひたむきに生きてきた姿。人に裏切られ地べたを這ってでも人を信じ抜いた心。

思いは全く報われない。
思いは全く人に伝わらない。

それが故に絶望し、心を閉ざす。

しかし私はそれが見える。淡々と事実とその思いのみを伝える私。ほぼ全てが過酷で目を覆いたくなる事実。でも思いは純粋で澄んだ気持ちで溢れてました。そして私は言いました。

「これがお客様の全てです。そしてそんなお客様を私は尊敬します。それほど尊いものだと私は思います。それでもご自分の人生を否定されますか? 世の中は不平等で理不尽です。これから先もそれは続くかもしれません。でも、お客様の魂は少なくとも私は感じましたよ」

お客様は泣き崩れました。そして私の手を握りながら深々とお辞儀をしながら帰られました。

結局私は何もできませんでした。決して状況が改善したわけでもない。そんなに簡単なものじゃないんですよね。

夢や希望。私は追い求めたいと思っています。とても素晴らしいことです。しかし、それら全てが「きれい事」「空虚な言葉」に転じることがあるのも事実。

でもそれでも生きていてもらいたい。自分を心から肯定してもらいたい。私自身、それができなかったことがあるだけに、その苦しみを少しでも軽くしたい。そんな思いでお仕事をさせていただいています。
【2012/07/03 16:26 】 | エッセイ | 有り難いご意見(0)
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